――そして現在に至る。 工事現場の砂地の中に位置する水溜まりの中から現れた、得体の知れない巨大生物。 それがあたかも付き従うかのように、威勢良く前方の四人に人差し指を向けた葵にその長大な体躯を寄せた。 「というわけでやっちゃいなさいリバイアちゃん! 弱いものいじめする奴らに正義の鉄槌を下すのよ! ……あ、何かしらこれ。引っ張っちゃお。えい」 ふと葵の興味が顎の下の鱗、逆鱗に移った。彼女はそれを遠慮なく掴むが、それでも決して怒ろうとはしない龍。 よくよく見ると、その目には全く生気が宿っていない。 「……何だ、あれ」 『まあ……気にするな。味方だ。一応、な。……だがそんな事よりも……』 白斗の隣には困惑気味に頭上の雲一つ無い夜空(・・・・・・・)を見上げるクレアと、癖なのかやはり髭を撫で続けているソウルジャグラー。 工事現場の隣は駅前の大通りだったらしく、巨大生物を発見した人々が一斉に映画の撮影か何かなのかと騒ぎ始める。 「行きなさいリバイアちゃん! 悪い奴らを灰にしてやるのよ!」 威嚇のつもりか、巨大生物が前脚で工事現場と大通りを仕切る壁を土煙と共に押し潰した。 瞬間。周囲に充満していた疑念の声は一斉に、悲鳴へと切り替わった。 「場所を考えろよ……!」 狭いこの場では地の利が無いと判断したのか、四人は空いた穴から大通りへと向かっていく。 それを追いかけようと、逃げ惑う群衆の事など全く気にせずに、そのまま大通りへと突き進んでいく巨大生物。 「……。クレア、あれは信じても大丈夫なのか」 『ああ、今回ばかりは葵を信じてやってくれ。私が保証する』 「……」 いまいち状況が呑み込めないまま、とりあえず自分自身とクレア、葵、そして謎の巨大生物、ついでにソウルジャグラー、最後に四人の人形(・・・・・)、要はこの場にいるもの全て、以外の時間を『15分間』停止させる。 時間停止(クロッカー)が再使用可能になるまでの累計時間、31分。 時が止まった世界の中で、先ほどから頭上の夜空を気にしていたクレアがソウルジャグラーにそっと耳打ちした。 『……おい、これってもしかして……』 「うむ、リバイアサン本来の力が出ていないな。昨日に比べていささか弱体化している」 マントにかかった砂埃を払いながら、相手が事も無げにそう告げる。 「え、ちょ、ちょっと! それってどういう意味よ!?」 今しがた大通りへと進出していった巨大生物の後を追いかけようとしていた葵の耳にも届いたのか、振り向いて怒鳴り返してきた。 「ああ、君のソウルは強制従属の力と言ったが……まあ要するに洗脳する力なのだよ」 「……。それはもう聞いたけど、でもそれがどう――」 「つまりだな、無理やり従えているため、自分の意志ではない海皇は本来の力を出せんのだよ。ほれ、海皇の力の象徴である雨も降っておらんだろう」 「なぬー!? そういう事はもう少し早めに言いなさいよ!」 葵が頭を抱えて叫んでいる間にも、そんな事は知った事ではない4人の人形は矢継ぎ早に各々の異能を繰り出していた。 巨大生物の角付近の何も無い空間が爆発すると同時、辺り一帯が揺らめく炎に包まれた。 かと思うと地面が隆起し岩が突き出し、さらには空気を切り裂く鋭い音と共に何かが飛来する。 だが、何を幾度繰り返してもその体躯は一向に傷付く様子は無かった。 時が止まった交差点のど真ん中で、身にたかる小バエを振り払うかのように巨大生物は吠えた。 「っていうか、何だあれ……」 幽霊や宙に浮く不審者と共に、全く場違いな場所に存在する巨大生物とそれを応援する葵を見物しながら茫然とつぶやく。 『海皇リバイアサン、魔界の生物……らしい。葵が従えた、な』 と、遠くから「リバイアちゃん!」と言い返す声が聞こえてきたが、それはともかく。 「魔界? ……まさか」 『不本意だが、私としても信じないわけにはいかなくてな』 もうどこか諦めきった様な顔の、隣にたたずむ幽霊。 そして葵自身は口元に手を当てながら、何かをじっくりと考え込んでいた。 「それで? 本来の力を出させるにはどうすればいいのよ?」 「簡単だ、君のソウルの呪縛から解き放てばいいのだよ」 「分かったわ。よーしリバイアちゃん、好きに暴れちゃいなさい。アイツらを跡形も無く消し飛ばしてやるの――」 『おい待て』 クレアが口元を引きつらせながら、葵とソウルジャグラーの間に割り込んだ。 「何よクレア。邪魔しないでちょうだい。せっかくここからがいいところなのに」 「そうだぞお嬢さん。この地上世界でリバイアサンが本来の力を取り戻すとどれほどになるのか、是非とも観察しようではないか」 「……?」 白斗としては何故クレアの事が見えているのか気になったが、それよりも先に幽霊がため息をつきながら口を開いた。 『……葵、昨日の苦労をもう忘れたのか?』 「……。……。……。……あ」 そこで葵は何かを思い出したのか口元に手を当て、ハッとした表情になってから、 「ぐぬぬ……分かったわよ!」 そう叫び、ちょうど身を低くした巨大生物、もといリバイアサンの頭の上へと飛び乗った。 「あたしだって昨日みたいに気付いたら朝でしかもベッドの中、っていうのはもうごめんよ! いつの間にかお風呂入った形跡もあるし何故か部屋もキレイになってたし!」 『……風呂はともかく部屋の掃除は貸しだからな』 頭上から魔獣を指揮して駅方面へと進撃していった葵の後を、浮遊したクレアが追いかけていった。 「ところで少年、どうして相手方の時間を止めんのだね?」 視界の奥、道路の両岸を商店街のアーケードに挟まれた位置にて、葵を頭上に乗せたリバイアサンが暴れていた。 その巨体の挙動の一つ一つにより、遠慮なく足元の車が踏みつけられ、アーケードの屋根が薙ぎ払われる。 葵の指示が的確なのかリバイアサンの力が常識を逸しているのか、攻撃対象となっている四人は回避しつつも駅方面に逃げるのが精いっぱいなようで、もう長くは保たないように思われた。 そんな中、腕を組み様子を傍観していたソウルジャグラーが唐突に問いかけてきた。 「もしや一方的に攻撃を加えない、フェアプレイの精神だとでも言う気かね?」 「まさか。俺が戦闘向きじゃないって言ったもう一つの理由。それが……あれさ」 そうつぶやくように言った瞬間、リバイアサンが吐き出した青白いブレスが轟音と共に通行人の一人に直撃した。 「ほう、流石は猛る海皇! いくらか弱体化していようとも、ひ弱な人間など一撃で消し飛ぶ程度の力は残しているか!」 感心しながら上機嫌に手を打つ魔人を無視し、今しがたのブレスの着弾地点を無言で指差した。 青白いブレスの粒子が消滅すると同時、そこには火傷一つ負っていない通行人の姿があった。 隣を歩く友人と思わしき人物と談笑している姿勢のまま、時が止まった世界の中で固まっている。 「な、地上の人間はそこまで頑丈なのか……!?」 「……そんなわけあるかよ。……これが俺の時間停止のクオリアの副作用。もう一つの効果と言ってもいいかもしれない」 「……?」 「時間を止めた対象には、同時に一切の干渉も出来なくなる現象が発生する。これは使用者の俺からの干渉でさえも例外じゃない」 言いながら、ちょうどリバイアサンが進攻していった後の場所に目を向ける。 先ほど魔獣に意図せず被害を受けた足元の車や、商店街のアーケードなども破損はおろか、一切の変形すらしていない。 「分かりやすく言うと、時間が止まっている間は人とか物とか関係なく、完全に無敵になるって事。いくらこちらだけ好きに動けても、一方的に殴れやしない。だから俺は最弱の切り札(ラストカード)なんだって」 自嘲気味につぶやきながら、小さく息を吐いた。 「もし時間停止中に攻撃が効いていたら、秋津さんに攻撃担当の誰かとペアを組まされたり、あるいは重火器でも持たせられたりしていたさ」 あのにぱーっとした笑みを思い浮かべながら、魔獣の頭の上で動こうとしない葵に視線を向ける。 ちょうどその時、海皇の薙ぎ払いが人形を二人同時に灰色の粒子へと変えた。 「ふむ。我が輩の見立てだとあれはリバイアサンの本来の力の十数分の一、と言ったところだが……最も、この程度の相手ならば十分であろうな」 「ああ。この分なら、時間停止が切れるまでには余裕で終わるだろ」 半ば他人事のようにもなりながら、白斗がそうつぶやいたその瞬間。 ふと、海皇の頭上に立つ葵の身体がグラリと揺らいだ。 気を失っているのか目を閉じたままの彼女は、そのまま頭から垂直に落下し始める。 『……っ!』 瞬間、クレアが落下中の葵の中に入り込み、数メートル下のアスファルトに激突する寸前に受け身を取った。 「……がっ……!」 固いアスファルトの上を転がった彼女は、痛みに顔をしかめながら頭上のリバイアサンを見上げた。 それと同時にどこからかどす黒い雨雲が現れ、豪雨が降り注ぎ始める。 ――リバイアサンが葵のソウルの呪縛から解き放たれ、本来の意思を取り戻した。 時が再び動き出すまで、残り約7分。 視界が奪われる大豪雨が降り注ぐ中、頭を押さえた葵、いやクレアが起き上がりながらソウルジャグラーを睨みつけた。 「おい……! なんだこの頭が割れるような頭痛は……!?」 駆け寄った白斗が小柄な『葵』を背負い、四人は近くの角を曲がった先の路地に退避する。 「……。魔獣を従属させるには多大な精神力を必要とする、というのは既に話したな」 珍しく髭を撫でる事も忘れ、後方の海皇を振り向きながら真剣な表情でソウルジャグラーが続ける。 「この少女はその魔獣を従えられるだけの類まれな精神力を備えているようだが、やはり相手が悪く数分が限界であったようだ。その限界を無視し、気力だけで無理やりソウルを維持しようとするとそうなるのだよ」 『……っ』 クレアの真横に、霊体化した葵が浮かび上がった。 「だがそれでも人間にしては十分過ぎるほど保った方だ。それ以上続けられるようなら、それこそ人間を超えた化け物なのだろうな」 『だからっ……! そういう事は……! もっと早めに……! 言いなさいってば……っ!』 霊体の方にも疲労が蓄積しているのか、半透明の姿になった葵が途切れ途切れに叫ぶ。 雨にも負けないほどの大音量で、咆哮するリバイアサン。 一時的にとは言え精神を拘束されていた海皇は、怒り狂っていた。 その怒りの対象は、もちろん―― 「このままだと時間停止が終了した瞬間に、死人が出るぞ……!」 クレアが口元に手を当てて考え込みながら、ふと視線を白斗に向けた。 「おい、時間停止は後どのくらいで切れて、再使用可能になるまではどのくらいかかる?」 「……後6分ちょっとで終了して、それからさらに16分後にまた使えるようになる」 頭の中で、クロッカーの時間を逆算して答える。 この魔獣を従えていたらしき葵がダウンしており、まだクオリアが使えない自分はもちろん、クレアさえも何も出来ない現状で、打てる手は……。 と。 『クレア、身体返して』 霊体の姿で宙に浮いていた葵が、半透明な指先で元々の自分の身体をつついた。 「……いいのか? 今は身体中が痛い上に頭痛も――」 『いいから。今はそんな事言ってらんないの』 道路上で咆哮を続ける海皇の口元に、雨でおぼろげながらも突如として青白い粒子が収束していく。 誰しもが退避しようとする間も無く辺り一帯が焼き払われていくが、クロッカーの作用により干渉不可となった背後のビルがブレスを受け止めた。 「……」 クレアは一瞬だけ何か言いたげな表情をしたが、そのまま目を閉じる。 「……。痛っ……」 自身の身体に戻った葵は顔を歪めてから、大きく息を吐いた。 「……他に方法が無いんだから、あたしがやるしかないじゃない」 「待て少女。君の精神力はもう限界だ。このまま無理やり海皇を従属させようとしても不可能なばかりか、これ以上の負荷をかけると……脳が焼き切れて死ぬぞ?」 『……!』 何が楽しいのか笑みを浮かべながら、魔人が告げる。 『葵、やめろ。ここは他の手を考え――』 「そんなの、やってみなきゃ分かんないじゃない!」 クレアの言葉を遮り、葵が叫んだ。 「……ほう」 実に意外だとでも言うかのように手を打ち鳴らし、そのままその手を差し出した。 「ならば我が輩も手を貸そう。なに、一度君に従うと決めた身だ」 『……何をする気だ。これ以上コイツの身を危険にさらす事なら私は反対だぞ』 「むしろ逆だ。……我が輩の精神を君とリンクさせる。それで我が輩の精神エネルギーを貸し与えよう」 リバイアサンは今や標的を残りの人形ではなく葵に変更し、こちら四人へと猛然と進攻し始める。 「ただしこれが正真正銘、最後のチャンスだ。いくら魔人の我が輩が手助けするとは言え、今の弱った君ではおそらく一分もソウルを維持出来んだろう」 魔獣はあと十数メートルほどにまで迫り、四人全員を噛み千切ろうとその大口を開く。 「なので従属させたら、すぐに魔界に帰還させるように命令するのだ。そうすれば――」 ソウルジャグラーのその言葉が聞こえているのかいないのか、目を閉じた葵は無言で迫りくる魔獣へと向けて手を掲げた。 時間停止が解除されるまで、あと5分。 どこもかしこも黒一色の精神空間。 昨日も訪れたそこに、再び葵は立ちつくしていた。 眼前には、目を閉じたまま眠っているかのような海皇。 そして葵の隣には、ある人物が立っていた。 『ふむ、ここがリバイアサンの精神世界か』 やはり髭を撫でながら、興味深そうに周囲を見回すソウルジャグラー。 『アンタがいる理由は何となく分かるけど……何でリバイアちゃんは寝てるのよ?』 『眠っているのではない。ここは精神世界、目の前にいるのはその精神の核だ。心、理性、と言い換えてもいい。それが動こうとしないという事は……やはり現実世界の海皇は、怒りで暴走して理性を失っておるな』 自分で言いながらうなずく魔人。 『さて、今ならソウルを使っても少しの間なら保つだろう。我が輩が君の精神を経由して補助している。安心したまえ』 『……。今はあたしとアンタの精神が繋がっているから、って事?』 特に違和感の無い自身の身体――それも今は精神体なのだろう――を見下ろす。 『うむ。精神力を軸にして発動させる高尚な力、ソウルを管轄する我が輩にとっては造作も無い事だ。ちなみに今なら君の思考内容が我が輩にも読み取れるぞ』 言いながら何やらニヤついた笑みを浮かべ、葵の身体を上から下まで見回した。 『ふむ。金に食べ物に「面白い事」に……ものの見事に物欲にまみれているな。前向きに遊ぶ事しか考えていない』 『何見てんのよ! エッチ! 変態! 覗き魔! 出歯亀! プライバシーの侵害よ!』 掴みかかろうとする葵をひょいとかわしたソウルジャグラーの声音に、ほんの少しだけ疑問の色が混じった。 『……だが、恐怖心は全く感じられないな。もし今の弱った君が海皇を従えるのに失敗したら、間違いなく死ぬのだぞ? それをまさか理解していないわけではあるまいて。何がそこまで君を駆り立てるのだ?』 『そんなの、決まってるじゃない。あたしはね、――』 『……ほう』 葵の吐き出した言葉に、魔人は実に満足げに髭を撫でた。 『なるほど、我が輩の目に狂いは無かったようだ。これからも喜んで君に付き従おうではないか』 それから相手はゆっくりと周囲を見渡した。 『……さて、おしゃべりもここまでだ』 魔人が見据えるのは、やはり目を閉じたまま眠っているかのような海皇の姿。 『精神世界での時の流れは現実世界とは違うため幾ばくかは余裕があったのだが、さすがにそろそろ限界のようだ。少女よ、覚悟は出来ているか?』 『もちろんよ!』 『うむ、ならば我が輩のソウルで再び海皇リバイアサンを従属させるのだ!』 演技がかった動作で大仰に手を広げるソウルジャグラー。 葵はフフン、と鼻を鳴らした。 『言われなくたって! 昨日と同じようにもう一度従えてやるわよ! どっちが上かってのを、リバイアちゃんに教育し直してあげるんだから!』 目を開けた葵が差し出した手の前で、昨日と同じように魔獣は大口を閉じた。 ソウルによる呪縛が成功し、その意思が葵の制御化に置かれたのだ。 それと同時に突如として雨が止み、どす黒い雨雲も引いていく。 「さぁ、早く魔界に帰還するように命令を出すのだ! いつソウルが途切れるか分からんのだぞ!」 どこか焦ったように、しかしそれでも髭を撫でる事は忘れずにソウルジャグラーが叫んだ。 「……嫌よ」 道路上に長大な体躯を横たえる魔獣の前で、葵がぽつりとつぶやいた。 「正気か!? このままだと精神エネルギーが尽きて死に、さらに魔獣が再び解放されるのだぞ!?」 それを無視し、彼女は先ほどと同じように身を低くした魔獣の頭へと飛び乗った。 『おい、葵!?』 頭上に葵を乗せた魔獣はそのまま身をもたげ、元の大通りの方向へと進攻し始める。 「……い、一体何を考えているのだあの少女は……!? このままだと……!」 『……くっ、私がアイツを止めてくる――』 クレアが自身と葵の精神を入れ替えようとした瞬間。 「待った」 白斗の視界に、とあるものが映った。 それは魔獣の頭上で手をぶんぶんと振り回しながら指示を出す、ソウルで精神力を使い果たしたようには全く見えない葵の姿。 「今度こそやっちゃいなさいリバイアちゃん! 残った二人もリバイアちゃんファイヤーで焼き払ってあげるのよ!」 あっけにとられた魔人と幽霊が見つめている中、葵は一向に気を失う様子を見せず、リバイアサンも同じく彼女の制御を離れる様子は無い。 「……元気、そうだな」 『……どういう事だ? 葵の精神力はもう限界だったはずじゃないのか?』 二人の疑問に、髭を撫でながら魔人が何かを考え込みつつゆっくりと口を開いた。 「……。あの少女のソウルは、対象を支配し従属させるものだ。つまりは命令を対象に無理やり聞かせるもの、とも言い換えられる」 『……? だが、それがどういう……』 その瞬間、リバイアちゃんファイヤー、つまりは青白いブレスが人形の片割れに直撃した。悲鳴もあげず、あっさりと灰色の粒子になって消えていく。 「まさか、海皇を支配した上で、精神エネルギーを持続的に自身に渡す命令を出した(・・・・・・)とでも言うのか? あの海皇相手に?」 愕然としながら、ソウルジャグラーがつぶやいた。 「海皇を従属させるほどの強力なソウルを維持するには、大量の精神エネルギーを消費する。だがあの少女はその供給の補助を、従属させている海皇自体に行わせている……ようだ」 「……つまり、アイツはあの巨大生物を従えるのに使う大量のエネルギーを、あの巨大生物自身から吸い取って自給自足してる、って事か」 『何だその現地収奪の理論……』 半笑いになりながら、クレアが息を吐いた。 「そのせいで元々の十数分の一の力しか出せないリバイアサンが、ここにきてさらに弱体化しているな……本来の力の数十分の一、といったところか。それでも今は十分なようだが」 「……」 白斗としては、遠くで暴れている、なおかつ葵の電池代わりにされているリバイアサンが少しだけ可哀想に思えてきた気がした。 時間停止が終了するまで、あと3分。 室宮葵。幽霊との同居人にして、魔人の主にして、海皇の飼い主。 「なぁ、アンタ」 遠くで暴れている海皇と葵を見つめながら、ふと思う事があって白斗は口を開いた。 「どうした、少年。今さらソウルが欲しくなったのかね?」 「いやそうじゃなくて」 「それとあくまでも我が輩が従うと決めたのはあの少女だけであって、君ではないぞ、少年。そうやすやすと我が輩の手助けが得られるとは思わん事だ」 「それもどうでもいいけど……葵は割と気分次第で無茶な事を言い出すから、多分アンタもそのうち後悔すると思う」 髭を撫でつつ、満足げに葵とリバイアサンを見つめるソウルジャグラー。 「後悔、か。我が輩が魔界を追放された時の後悔に比べれば、些細な事であろうな」 「……」 魔界で何をやらかしたんだ、と聞こうとしたが、それよりも早く葵の命令を受けた魔獣が、最後の一人となった人形へと突進していく。 「さぁ、もっともっとやっちゃいなさいリバイアちゃんっ!!」 「イエスマイマスター」 何やら野太い声が周囲に木霊(こだま)する。 『……話せたのか、あれ』 「……うむ、あの少女が精神エネルギーの供給を海皇に行わせた副作用だな。言語を操る人間が海皇の精神の奥深くまで潜り込んだ結果、海皇がその言語を学習したらしい」 『……いやアンタも最初からしゃべっているだろう……それとも魔界でも日本語が共通言語なのか?』 魔人はそれには答えず、わざとらしく明後日の方角を向きながら手を叩いた。 「う、うむ! さすが魔界の生物、猛る海皇だ! ひ弱な地上の生物など、一撃で粉砕してくれる!」 『……もしかしてアンタ、実は何も分からずに適当な事を言ってはいないか……?』 ふとその時、残り一人となった人形が速度を落とさずにこちらへと向かってくる。 その後に続くのは。 「そっちの小道に逃げ込んだわよ! 逃がさずに仕留めてあげなさい!」 「アイハブアドリィィィィム」 何やらよく分からない事を叫びつつも、迫りくるリバイアサン。 「……こっちまで巻き込むつもりかよ」 心の中で舌打ちしながら、身を近くの建造物へと寄せる。 「あ、そっちにいるちっこいのは味方だから攻撃しないようにね。リバイアちゃん、できる?」 「イエスウィーキャァァァァン」 器用にこちらを避けながらドリフトをかけつつ、逃げ込んだ最後の人形を追う。 人形は最後の賭けに出たのか、走りながら両手に空気の渦のようなものを生成し始めた。 「……!」 白斗が避ける間もなく、それを投げ付けようと相手が振りかぶった瞬間。 ――それよりも早く、リバイアサンの巨体が人形を跳ね飛ばした。 「さぁトドメよ! 一気に押し潰しちゃいなさい!」 「フォーザピーポーオブザピーポーバイザピーポォォォォ」 段々と訳の分からない事を叫びながら、小型のビルほどもある巨体が白斗の目の前に倒れ伏した人形へと迫る。 踏み潰された最後の人形は、あっけなく霧散していった。 そして、その進行先には。 「ちょ、リバイアちゃん! ブレーキ、ブレーキ!」 その巨体ゆえすぐには止まれないのか、魔獣の身体が白斗と幽霊、魔人の目の前まで迫る。 『……すまん』 「……頑張れ少年」 クレアはすり抜け、ソウルジャグラーは宙に浮かびあがってひょいとかわした。 そして残った白斗は。 「なっ――」 盛大に跳ね飛ばされた。 気が付くと、白斗の身体は道路上に横たわっていた。 それが駆け寄ってきた誰かに抱きかかえられる。同時に熱い滴が目を閉じたままの白斗の頬に落ちた。 「ああっ、誰がこんな酷い事を!」 いつの間にかその誰かに膝枕をされていた。固かった。 「ねぇ、目を開けてよ! お願いだから返事をしてよ! なんで、なんで……!」 その人物は慟哭(どうこく)しながら、抱きかかえた白斗を必死に揺さぶる。脳震盪を起こしそうな気がした。 「嫌、嫌、嫌……っ! 嘘よ、絶対嘘に決まってる……! こんな事になるんだったら……っ!」 白斗を膝に抱きかかえる、葵の声が震えた。 「条件のいい生命保険をかけておくべきだった……!」 『……おい』 白斗が立ち上がりながら服に付いた小石やら砂やらを払っていると、ため息をついたクレアが周囲を見回した。 『……お前たち、茶番をしている場合じゃないぞ。もう時間が無いんじゃないのか?』 それでようやく現在の状況を思い出したのか、葵が慌てて叫ぶ。 「リバイアちゃん、帰りなさいっ!」 その命令に従い、巨大な海皇の姿が一瞬で消え失せる。自分の意思で魔界に帰還したのだろう。 その瞬間時間停止の効力が切れ、止まっていた世界が再び動き出した。 周囲の夜道に音が満ち、夜の大通りが雑多な喧騒に包まれる。 ププー、とクラクションを鳴らされて、道路の中央に立ち尽くしていた白斗と葵は急いで歩道へと上がった。 「さて、我が輩はこれにてしばらく休ませてもらうとしよう」 ふと頭上から声が聞こえて夜空を見上げると、片手でシルクハットを押さえたソウルジャグラーが軽く一礼していた。 「え? ちょっと! どこ行くのよ!」 「今回ばかりは我が輩もいささか疲れたのでな。なに、君が呼べばいつでも現れようぞ」 そう言い残しつつ、魔人の姿は夜の闇に溶けるようにして消えていく。 「ま、それならいっか。お疲れ様ー。……あーあたしも疲れた。とっとと帰って美味しい晩ご飯でも食べよーっと。っていうか結局、さっきのあの悪い奴らは何だったのよ」 『……知らずに攻撃してたのかお前……。いやまあ私も分からんが。……白斗、あれは一体……?』 と。 「兄貴? それにお前……こんなところで何してるんだよ?」 ふと背後から声が聞こえて振り向くと、そこにはちょうど路地から大通りに出ようとしたところだったらしき光輝の姿が。 そして。 「……葵、兄さんからいったん離れて」 また別方向から現れたのは、どこか警戒気味に告げてくる悠。その背後には紫苑の姿もあった。 悠が今までの経緯を葵とクレアに説明し終えると、クレアはゆっくりと息を吐いた。 『こいつは確実に本物だ。私が保証する。時間を止めていたのを目の前で見た』 「……悪いけど、あなたたち二人も信用できない。何か本物だって証拠が無いと」 そう言って切って捨てた悠の前に、光輝が割り込んだ。 「まあまあ。悠さん、いくら何でも疑いすぎだって……」 「……さっきもそうやって騙された。さらに言うとあなたの事だって――」 「……クレア」 不満げにむくれていた葵が頭上の幽霊に目で合図をすると、相手は小さくうなずいた。 次の瞬間、クレアと入れ替わるようにして半透明の姿になった葵の姿が隣に浮かび上がる。 それから幽体の葵は信号待ちをしていた数人の通行人の近くまで浮遊していき、あっかんべーなどをしてみるが、誰も気にした様子など無い。 「葵……? 何してるの」 いぶかる悠や無言で腕を組んだままの紫苑など、五人全員の視線が宙の葵を追う。 『いいから見てて』 さらに彼女はそのまま光輝の背後に移動し、半透明な片手をそのまま前に突き出した。 霊体の腕は当然光輝の身体を突き抜け、ちょうど彼の胸から腕が突き出しているという不気味な姿になった。 「……おい、何するんだよ!?」 『そ。これでこいつはあたしの事、見えてるってわけ』 相手の抗議の声を無視し、上機嫌に指をパチンと鳴らしながら再びクレアに視線を送った。 「部外者には見えないけど、あたし達には見える姿。どう? これで文句無いでしょ?」 人格を元に戻してから、葵がニヤリと笑みを浮かべる。 「……分かった。ここにいる全員が本物だって信じる」 悠はため息をつき、制服のポケットからとある物を取り出して白斗に手渡した。 「これ、落ちてたから」 「……ああ、悪い」 先ほど紛失した自身の携帯電話を受け取る。 液晶にいくらかの傷が付いていたものの、機能自体には全く支障が無さそうだった。 「ところで葵。昨日私が電話かけた時にすぐに切られたけど、あなたは一体どこで何を……」 「え? ああ、そう言えば。かけ直すの忘れてたわ。それで? 結局何の用件だったのよ?」 「……別に、もうどうでもいい」 自身の携帯電話の着信履歴を確認している葵を眺めている白斗の視界内に、浮遊しながら葵の携帯電話を覗き込むクレアの姿が入り込んだ。 その瞬間、脳裏に何かがよぎった。 それは、昨日見かけた偽物の葵の姿。 彼女の周囲には、本来いるべき人物の姿が見当たらなかった。 それが意味する事とは。 「ま、兄貴も無事に見つかった事だし、とっととねーちゃんのところに戻ろうぜ」 頭の後ろで手を組み、歩き出そうとしていた光輝の背に告げる。 「待った。……少しだけ気になる事がある」 その声で、他の5人が一斉にこちらを向いた。 「……何。気になる事って」 「昨日見かけた偽物の葵の近くには、クレアがいなかった記憶がある」 そんな不自然な事は、自分たちにはあり得ない。 「これは俺の推測だけど……審査官(テスター)は葵の姿自体は模写して人形を生成できた、でもクレアに関しては模写自体が不可能だった、のかもしれない」 『……不可能、とは?』 「例えば……最初から見えてないからそもそもその存在を知らなかった、とか。ほら、さっき葵がやった通り、今ここにいる俺たちと秋津さん以外には、クレアの姿は見えないし」 そう、葵のそばに幽霊が付き添っていないという事は、極めて不自然な事なのだ。 彼女たちがいつも行動を共にする事を知っている、自分たち(……・)にとっては。 『……ああ。途中から何故かあのソウルジャグラーには見え始めていたが、やはりそこらの通行人に私は見えないらしいな』 「ソウルジャグラー? 何だそれ?」 光輝が頭の上に疑問符を浮かべていたが、何かに気付いたらしき悠が無視して言葉を紡ぎ始める。 「相手にはクレアは見えなかった、つまり逆に言うと葵を見る事が可能な位置にいた、って事……?」 「うん? つまり?」 「……待って。そもそも、相手が兄さんが今日の昼間にあの建物の中にいた事を知っていた理由って……?」 光輝の頭の上に浮かぶ疑問符が多くなるが、彼女は構わず続けた。 「なんで私たち二人が見回りに行っていた事を知った上で、兄さんを建物から連れ出すタイミングが分かったの?」 「なんでって……そりゃ、見てたんじゃないのか?」 「じゃあどこから? ……。もしかして……」 悠はしばらく考えこんだ後、口を開きこう言った。 「審査官(テスター)は、私たちの近くにいる」